「人間万事塞翁が馬」という諺をご存知でしょうか?この諺は私の人生訓の一つです。
《故事ことわざ辞典》より、引用させて頂きました。
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。
故事ことわざ辞典
これは人生における幸不幸は、予測することが難しく、一見幸福に見えることが不幸に、一見不幸に思えることが幸福に、いつ転じるかはわからない。
つまり、一つひとつの出来事に意味付けをして、一喜一憂するものではないという教訓です。
人間生きていると、良いときもあればそうでない時もあります。
一見、良いことに思えたり、逆に一見、悪いことに思えても、それらは長い時間軸で観ると、日々の“点”でしかありません。
長い時間軸で見て、後々振り返ったときに、どの視点で“その出来事をどう捉えるか”で、その意味も変わってきます。
何か良いことがあっても、うかれすぎて油断しなようように。
何か辛い出来事があったとしても、「ピンチはチャンスなり」で、後々「あの出来事のおかげで、現在がある」心からそう思えるようになると、その辛い出来事は、宝の経験になります。
日々の出来事に、一喜一憂せず、現在出来ることを精一杯やっていきたいものです。
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